大きな欲と小さな欲

「作曲家兼ピアニスト」とか、作曲家なのにピアニスト並みに弾ける人を見ると、大変羨ましく思う。私はピアノが苦手なのである。ブログのタイトルが『吾輩はピアノを弾く猫である。』にも関わらずである。

まあ職業柄、作曲はピアノを使って行うし、それなりに伴奏などもこなすし、音源制作の際の打ち込みなどに支障はない程度の技術はあるが、ピアノを始めたのが遅かったことや、人一倍あがり症なこともあり、ピアノには苦手意識がある。当然職業的ピアニストには遠く及ばない。

そういう意味でブログのタイトルもご理解いただきたいものである。ピアノが弾けないわけではなく、むしろピアノこそが商売道具である。

 

そして今年新たに、「ピアニストになりたい!」という無謀な目標を立てた。

私などがそんな大それたことを目標にするなど、ピアニストを職業にされている方々に申し訳ないとも思うが、別になれなくても一向に構わない。それくらいの決意でピアノを練習してみようということで、毎日練習を続けている。毎日続けてみて気づいたことがある。

 

小さな欲と大きな欲についてである。

たとえば「ピアニストになりたい!」という欲は途方もなく遠い目標である。大きな欲望である。しかし、大きな目標だけに、そこに至るまでの過程も当然遠い。ふと、大きな欲を持つと、小さな欲が淘汰されていくような気がしたのである。

生来のんびり屋である私だが、怠け者では決してない。

だが、それなりに休みも欲しいし、遊びもしたい。ある程度の物欲も当然ある。しかし、一旦「ピアニストになりたい!」と思い立ち、ピアノの練習に励んでいると、そっちの欲が大きくて、小さな、たとえば「休みたい」「遊びたい」「◯◯を買いたい」などという欲が淘汰されていくのを感じている。そんな暇があったらピアノを練習したい、と思い始めている。

 

驚くべきことである!

 

何かの記事で読んだが、人間が何かを習慣化するためには、66日間という時間が必要なのだそうだ。つまり、66日間続けたものは習慣化され、生活の一部となる。そしてそれは毎日続かなくてもよいそうである。途中できない日があっても構わない。そんなことは気にせず続けることが大事なのだそうだ。習慣化してこそ真の力がついていく。

 

またこうも思った。大きな欲を持たない者は、小さな欲にハマっていくのではないかと。「私もああなりたいなぁ」などと頻繁につぶやいているような人ほど、目標や計画を立てたり自分磨きを実践せず、物欲を発揮したり、ギャンブル熱を帯びたり、ワイドショーを見ながらお菓子を食べ続けたり、休日は日がな一日家でごろごろと転がっているような気がする。

大きな目標を持つ者は自分を磨き続ける。小さな目標しか持たない者は自分に磨きをかけず、安易に手に入る小さな欲に身を浸してしまうのではないか。されば巨大な欲望こそ、自分を磨き、質素な生活をもたらすのではあるまいか。

 大きな欲のことを、「夢」とか「志」などと呼ぶのではないか。

 

ピアノを練習しながらこんなことを思ったのである。